フォントを作る → 公開する → 誰かが使う → 偶然見つけてしまう。
恥ずかしい → また作りなおす → 公開する → ・・・
自発的に取り組むことは、言い訳ができないからどうしても恥ずかしい。
いつになったら恥ずかしくなくなるのだろう?
と、フォントを通じた世の中との接点を基に、調べ物に明け暮れています。
現在、フォントを作る上で、気になっているが摩擦です。
甲骨 → 金文 → 小篆 → 隷書 → 草書・行書・楷書 → 明朝
という漢字の変遷に対し、
亀の甲 → 青銅器 → 石 → 竹・木 → 紙 → 発光体
と、記録するものも変化してきました。
こうした大まかな流れから、現代の文字の形は、どんどん摩擦が少なくなるのでは?と、いうことを実験的に見えるものに変換しようとしているのが、マキナスというフォント(現在制作を1年以上放置)
若者にとっては、共感的に。大人にとっては未完成の劣悪で退屈な文字に。
おそらく、そのように見えているのではないしょうか?
若者の脳は、発達途中で情緒なども不安定。だから、マキナスのような未完成なものもすんなり受け入れられる。
大人の脳は?というと、様々な経験で脳が発達し、情緒も安定してくる。それゆえ、しなやかで優美なラインの明朝や楷書を好み、文字だけに留まらず、様々な場面で「摩擦大盛りで!」という事が重要だと考えるようになり、より洗練されたものを求めるようになります。
ザックリですが、漢字がここまで発達した要因が、紀元前1255年、中国・殷後期の時代、武丁(ぶてい)というカリスマ的な皇帝の存在。
当時、文字は占い的な役割としたものが多く、(病を治すにはどの方角に進めばよいか?など)祭祀儀礼(校長先生が全校生徒の前で喋るような感じの場・公の場)では、口頭言語(口でしゃべること)で支配力を示していました。ところが、この武丁は耳が悪いか?声を発せられないか?何らかの病気(障害)を持っていたようで、人前で声を発することが叶わなかった。そうした経緯と、急速な人口の拡大、青銅器の普及が相まって目で見て言葉を伝える手段を発達させるべく、漢字文化が誕生しました。
2017. 5. 17 Wed / もじワク研究:ひろきちゃん