マキナスが、一種のバイブル(「困った時はマキナスでいいや」などと、すがってしまう行為・感情)のような存在になるとは思いもしなかった。
いつぞやのパズドラCMで大野君と競演したのを目にした時、恥ずかしさでどうしたらいいかわからなくなりました。下絵のような段階で公開していたものが、大々的にデザインとして使われたことにショックを受けました。このショックというのは、「もっとちゃんとしたものを作っておくべきであった」という意味合いが占める。 そんな経緯で、急遽Flat(3)と(5)というものを補完的な形で昨年春頃、公開し現在に至ります。
フォント制作のルーツは、丸明オールドでフォントを購入する事に目覚め、平野甲賀氏の描き文字で、フォントは作れるのだという感覚を知り、 欧文はNon-Formatの影響が強く残っています。
マキナスや廻想体は、20代前半の頃の我に宛てて作ったものであり、同時にその頃「こんなの欲しいな・・・。」と思っていたフォントの形です。
ようやく最近、我ではなく吾として作る。(過去に思い描いたイメージとしてでなく、今欲しい形をイメージできる。)という感覚が芽生え始めました。おそらく、様々な使用例を目にしている内に、新たなニッチ(オムレツとチキンライスがあり、オムライスが誕生するといった。新たな枝分かれ・進化という意味)を見出したのだと思います。そして、若さ(≒若者)から搾取するために、学問・教養・技術を身につけ提供する。という方法(報酬や見返りを求めることを前提とする行為・下心としての活動)に対し、若さ(≒若者)への思いやりを大切にする(過去の自分を思いやる行為)。という対極的な活動からも、結果として学問・教養・技術を身につけるに至れた事に、一安心しています。(他者にフォントを使用されることにより、普段思いもよらない事への関心が沸き、自発的な行動に結びついた。主に、恥ずかしいという感情が衝動として発動する場合が多かった。)
以上が、制作者としてのマキナスの経緯と視点です。
ここから、どうしたら恥ずかしくなくなるか?という領域で、1から制作となります。
一番簡単なのは、既存のフォントを下地に、部品を変えてなぞる事です。恥ずかしくないのですが、この方法は、漢字というものを瑣末に扱う行為に繋がりかねないので、
必然的なバランスは、既存フォントを色々見比べて参考に進めますが、結局のところ、吾の直感的な部分を頼るほかありません。
2017. 5. 20 Sat / もじワク研究:ひろきちゃん